連載コラム 俺の話を聞けー! 杉本監督アー写
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Vol02. 『下北半島の花と雪』  (2005年04月27日更新)
8年くらい前だろうか。僕はイタコを撮影するために青森へ行った。当時仕事をしていた会社の社長でありプロデューサーでもある男が「下北半島とイタコの映画を作れ」と言い出し、僕も「面白いかもしれない」と思い、ただそれだけで何の計画も無く青森の下北半島へ向かったのだ。
行ってみて驚いたのは、そこが僕にとって決して遠い場所ではなかったことだ。どの季節だったかは覚えていない。目の前でもの凄い風が吹いていた。下北半島は、そこは荒涼とした初めての土地なのに、とても懐かしい感じがした。

下北は明治以降のこの国でただの一度もいい目を見てこなかったと思う。軍馬やら女性やら労働力やら、国はこの土地から必要なものを安く買い叩いてきた。最近では広大な地面が買い叩かれてそこに核燃料サイクル施設が建っている。もちろん全てがタダじゃない。安いだけだ。だが、そのようにして得た金で幸せになった人など一人もいないだろうから、幸せの値段にしては安いと思うのだ。
かつて寺山修二が"下北半島は斧だ"というようなことを書いていた。地図を見て欲しい。下北半島は本当に斧の形をしている。それは振り上げられた斧だ。ではそれはどこに振り下ろされるのか。寺山はこう書いていたと思う。
"斧は日本に向かって振り下ろされる"

八戸市はその斧の付け根にある港町だ。僕は電話帳でイタコの住所を探し当て、おっかなびっくり訪ねていった。

そのイタコさんは当時で70歳くらいだったと思う。意外なほどあっさりと僕を迎え入れてくれた。全盲ではなく極度の弱視であり、分厚いレンズの眼鏡をかけていた。彼女は僕を気にする様子もなく普段どおり接してくれた。…と最初は思っていた。しかしそれは僕の思い上がりだと考え直した。カメラがあったら普通はいい気がしない。たとえ強度の弱視であっても、だ。では何故すんなり迎え入れてくれたのか?
彼女は"よく見えない"ということで何度も嫌な思いをしてきたはずだ。イヤだと言ってもまともに取られず仕方無しに受容してきたことが多かったはずだ。だから僕のような突然の訪問者、わけのわからない者に対しては抗わない…そう考えても不思議はない。彼女は僕を迎え入れたのではなく、あきらめたのだ。

そのせいかどうか、彼女はよく喋った。特に子どもの頃のことを。その話し方はまるで人事のようだった。
「農家の跡取り以外の子ども、とくに女子、おまけに目が見えない女子などは、これはまったく役に立たない存在として厄介者扱いされた。で、親にこう言われた。…憎いわけじゃない。捨てるわけでもない。だからよく聞け。お前、津軽三味線やるかイタコさんになるかどっちにする?…。私は決して親を責めてはいない。親が悪いわけではない。あの頃は、そういうことだったのだ」

一気に喋り終わった彼女が眼鏡をはずしてこちらを見た。
「5万だな」
「えっ?」
「撮影料。無けりゃ身体でもいいぞ」
「…」
「冗談だ。あんたを取って食おうなんて思ってねぇ。撮影料もいらねぇ。はなし聞いて貰ってちょうどいい退屈しのぎだ」
僕は本当にほっとして笑った。彼女は何もあきらめていない。初対面の僕とどうコミュニケートするかを考え、冗談を思い浮かべ、タイミングを計っていたのだった。

何日目かに、僕ははあることに気が付いた。せまい市営住宅にやけに花が多いのだ。玄関口には鉢植えのユリ科の花が所狭しと並んでいた。眼が悪いのに花なんか…と僕は思った。しかしこうも思った。よく見えないからこそ花を愛しているのではないか。
「花を大事にしてるんですね?」
と僕は尋ねた。彼女はすぐに答えなかった。そればかりか動きを止めてしまった。僕は何か違う話をしなければと焦った。すると彼女がこう言ったのだ。

「花は嘘つかねぇから」

「これまでたくさんの嘘に騙されてきたから、世話さえすれば裏切らずに咲く花が好きだ。後悔はイタコやっても晴れねぇし、悔やんでも取り返しのつかねぇのが人生だ」
そう、だから彼女はイタコなのだ。悲しみや後悔を背負っているから、誰かの悲しみや後悔をカウンセリングできる。その資格と、そうする必要が彼女にはある。

八戸のイタコさんの家を後にして、僕は六戸に住む別のイタコさんを尋ねた。

「小さい頃に視力を完全に失い、親から津軽三味線弾きになるかイタコになるかと問われた。学校の先生がいい人で歌をたくさん教えてくれた。その先生が、お前イタコになれと修行先まで探してくれた。そんないい先生の親切を無駄にできないと思いイタコになった」

彼女は親切に応えるためにイタコになったのだった。家には大音量でラジオが流れていた。僕は1つだけ聞きたかった。幼い頃視力を失ったという彼女が、最後に見た景色は何だったのだろう?

「最後に見たのは雪だったなぁ…真っ暗い空からどんどんどんどん降ってきてさ…」
彼女はそう答えた。そして最後にこう言った。
「きれいだったなぁ…」

僕は少し涙が出た。言っておくがこれは同情の涙ではない。真っ暗い空からどんどんどんどん降ってくる雪…彼女が今でもそれを"見ている"ことに感動したのだ。そして次にはこう思った。これは映すことができない。自分の中に映し取るものがない。彼女が何十年もの間心の奥隅に焼き付けてきた光景を、映画で描きなおす力が僕にはない…。

かくしてあのときの映画は頓挫した。
ぼくはイタコさんたちの
「あんた、映画できたら見せてね」
という恐ろしくなるようなオーダーを抱えたまま新宿に戻った。目の見えないイタコさんが見ても面白いと思うような映画を作る自信はまったくなかった。

そして今。僕は再び下北半島に行ってみようと思っている。もちろん映画を作るためだ。
『自転車でいこう』がそう思わせたと言っていい。撮影中の李くんとの時間。彼の心の底に到達できないジレンマの中で、李くんは「そんなことやったかてオモロナイデ」と態度で示し続けた。無駄なことはやめて遊ぼうと…。それで僕はそうした。李くんを"わかる"のではなく、永遠に交わらないまま並走したのが『自転車でいこう』だったのだ。

下北半島のイタコさんたちもそのようにだったら撮影できる気がする。
彼女達に到達するのではなく、分析を試みるのではなく、理解を目指すのではなく、ただひたすら近づき続ける。彼女達はこの世とあの世の境界線にいる。そして実は僕も同じように境界線に立っている。健常と障害の、世間と個人の、常識と非常識の、金と良心の、幸せと不幸せの境界線に。イタコさんたちに近づくことは自分自身に近づくことだ。
八戸と六戸の二人のイタコさんが今も生きているかどうかはわからない。しかし今の僕にはあの「花」と「雪」が必要なのだ。



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