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■プロフィール |
明治25年(1892)福岡県嘉穂郡生まれ。山本作兵衛は7歳のころから坑内に入り、13歳で炭坑夫となる。以来昭和31年(1956)まで明治、大正、昭和と3つの時代を筑豊の炭鉱(やま)に生き続けた。その人生はごく平凡なものであり、数多といたであろう平凡な炭坑夫と大差はない。しかし、晩年になっての彼の所業が歴史に新たな1ページを刻むことになる。 「ヤマは消えゆく、筑豊524のボタ山は残る。やがて私も余白が少ない」 昭和30年代になって筑豊の炭鉱(やま)は次々と閉山に追い込まれていく。作兵衛翁が働いていた位登炭鉱も昭和31年に閉山。作兵衛翁63才の時であった。 昭和33年(1958)「孫たちにヤマの生活、作業や人情を書き残して置こうと思った。文章で書くのが手っとり早いが、絵であれば一寸見ただけで判るので絵に描くことにした」 と語り、資材警戒の夜勤を勤めながら夜のつれづれにヤマの記録絵を書き続けていった。以後、20年あまりの間に膨大な記録絵画と6冊の大学ノートの記録が当時をまざまざと再現している。 やがて生粋の炭坑夫が残した精緻な記録として注目を浴びるようになる。 今だに多くのファンがいるという作兵衛翁の画風には炭鉱(やま)に生きてきた者独特の世界観があり、一枚一枚の絵に或る懐かしさを感じるのは、私たち自身がそこに日本人のアイデンティティーの原型をかいま見るからかもしれない。 「さよならは言わんけん、作兵衛バンザイと言うてくれ」 昭和59年(1984)12月19日、この世を去った。山本作兵衛、享年92。 |